トリコロールを勝手に綴る

心から応援する横浜F・マリノスの試合や移籍、チーム情報を思ったまま、感じたままに綴っております。

(改めて)遠藤渓太 ウニオン・ベルリンへレンタル移籍【移籍情報】

地元は、横浜・二俣川
小学校2年生から育成組織に入って育って
ストレートでトップに昇格して
トップでも活躍して
リーグタイトルに貢献して
フル代表入りして
海外移籍(しかもトップリーグ
 
こんなストーリーを歩めるサッカー選手は、ほんの一握り。
長い育成組織の伝統を持つマリノスでも、初の快挙だと思う。
※ 似たようなタイプを探すと、原口元気ハノーファー)が浮かんだ。
レッズの育成で育ち、トップ昇格、昇格6年目でヘルタ・ベルリンに移籍。
 
2016年のリーグデビューからその歩みを一歩一歩止めることも緩めることなく着実に進んできた。
この4年半の間で、マリノスは大きな変革期を迎えた。監督が代わり、サッカースタイルが改革された。
選手もほぼ全てが変わった。
そんな環境変化に戸惑うことなく順応し、多くのスキルや経験値を蓄積しながらプレースタイルを飛躍的に確立した。
きっと、渓太のたゆまぬ努力と学ぶ姿勢、吸収力、理解力全てがあったからこそだろう。これから先もそれでいいと思う。
22歳で完成されたプレイヤーは皆無だし、置かれた環境から貪欲に学び、取り組むこと以外高める方法はない。
渓太のコメントにあった「泥水をすする」ってそういう意味だと理解している。

渓太がいなくなるマリノスには、いささか不安もある。左サイドで躍動する姿を見慣れているから…

でも、その才能をもう横浜だけにとどめてはいけない。

渓太が切り拓いた未来には、何が待っているのか?
マリノス以外に大きな楽しみができた。(DAZN放送がないからそれだけがネックだが)彼のドイツでの活躍を心から願いたい。
 
最後に、勝手に渓太の4年半の歩みを振り返ってみた。
◆ デビューイヤー(2016年)
1年目の第3節でデビューを果たした。しかも先発。
当時のモンバエルツ監督の若手シフトを代表する采配で出場のチャンスを掴んだ。
「若くて速い」という印象くらいで、ラストパスの精度は低いし、オフザボールの動きも乏しかった。この後試合に絡めるか?と心配する気持ちにもなったが、その後もコンスタントにベンチ入りと途中出場を重ねた結果23試合の出場機会を確保した。
(通常、どのチームでも昇格1年目のルーキーに、ここまでの出場機会は与えられない。そして2年目以降は、レンタル移籍も視野に入れなくてはいけなくなるものだ。彼のデビューが1年違っていたらこの歩みは違うものになっただろう)
 
◆ 苦悩の2年目、成長の礎を築く(2017年)
出場数、時間ともに前年度を大幅に下回った。
モンバエルツ体制集大成の3年目で、両翼を生かした攻撃スタイルの中心にいたのは、齋藤学マルティノスだった。
サブには、ブレイク前の前田直輝もいたため出場機会を掴めなかった。当時主戦場だった、右WGの他にも左WGや左右のSBも経験することで技術や経験値が高まっていた。
秋以降のガンバ戦、アントラーズ戦と大一番で貴重な決勝点を挙げる等、印象深い活躍も残した。
また、ワールドユースも経験し、その後の成長の礎を築いたシーズンだった。
 
◆ ブレイクの予感(2018年)
ボステコグルー体制1年目、開幕戦からスタメンのチャンスを掴む。
低迷するチームの中スタメンが激増し、徐々にチームでの地位(左WG)を確立することになった。
左WGからのカットイン、縦突破からのクロス、コンビネーションからのハーフスペースの攻略と攻撃のバリエーションを身につけた。
また、ルヴァンカップでもニューヒーロー賞に輝いた。
彼が決勝のピッチに立っていれば、もう一つタイトルを獲れていたと思う。
 
◆ 覚醒と覚悟の充実のシーズン(2019年)
開幕序盤はマルコス・ジュニオールと、終盤はマテウスとのブラジリアンとポジション対決となった。
このハイレベルな競争に身を置くことで、彼のプレースタイルがとうとう覚醒した。
短い出場時間でも果敢に仕掛けるスタイル、フィニッシュへの高い意識、惜しまぬハードワーク。
スタメンこそ減少したものの、文句のつけようのないパフォーマンスと結果(7ゴール、7アシスト)を叩き出し、リーグタイトルに貢献した。
年末には、E-1のフル代表にも選出された。
 
◆ 決意の船出(2020年~)
いよいよ左WGの1stチョイスになるとともに、東京オリンピック代表入りを目指した。
リーグでは、警戒される中、巧みな仕掛けと意欲的なフィニッシュの姿勢を貫いた。
チームが波に乗れない中ではあるが、きっとこのまま活躍が続けば、シーズンWも叩き出したのだろう。
そして、この船出の続きは、ドイツに移る。